ゆかたんのMelodies of Life

人は音楽なしでは生きていけません。その時好む音楽で精神状態が分かるという研究もあるとかないとか… 生きる=音楽=稼ぐ=社会奉仕 な私がウニャウニャしながら生きていく、鬱にも苦痛にも負けない子猫たちの集まる空き地がこのサイトです。

他人のせいにする生き方が本当に楽なのか?について

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俺は素人ではない。スペシャリストだ by相良宗介【フルメタル・パニック!より】

 

自分のメモ的な意味合いで書く。

 

自分の境遇が他人のせいだとか、能力がないのは親のせいだとか、才能がないだとか

上司に恵まれないだとか、、、


人生100年時代にと言われている中で他人のせいにすることが本当に楽な生き方なのか

について考えてみた。

 「他人のせいにするということは他人の人生を生きることと同じ」

 

他人のせいにするという考え方は明らかに受け身の姿勢である。

受け身というのは自分に選択肢はない。

 

人生において幸せというのは

お金でも学歴でもなく「選択の自由があること」が絶対条件であるそうだ。

日本という国にいると選択の自由は半端なくある。

 

選択できたからといって全てが手に入るわけではない。選択できる自由があるだけであって結果を保証されるわけではないが、勉強したいと思えば大学、予備校、スクール。お金がなくてもYouTube、図書館等々。形は違えどやりたいことは何でもできる。これは考えてみると凄いことだ。先人たちに感謝しなければならない。

 

思考停止して、境遇を嘆き、他人のせいにする生き方というのはただの怠慢で=選択の自由の放棄である。

 

幸福の要素である選択の自由を放棄するということ=幸福を感じられないということである。

 

選択の自由の放棄=他人の言われるがまま=他人の人生の糧で終わってしまうということ。

人生の大半を他人の人生に捧げるというのはあまりに悲しい。

 

会社員といえども自由はある。仕事をするかしないか、できるようにするかしないかは我々の手中にある。もちろん、権限以上のことはできない。ただ、権限内で行うのは自由だ。辞めたければ辞めれば良い。その結果、お金が無くなっても誰の責任でもない。

無理に続けて、体を壊す。他人は責任を取ってくれるわけではない。

 

それならば結果を出せるように自由に努力する。他人のアドバイスを聞いてみる。

役に立たないと思えば捨てれば良い。他人にお伺いを立てることはない。

結果を出せるようになれば良い。出せなければ自分が間違っていたか合わなかったということ。それは会社が悪いのだとしてもその会社を選んだ自分が悪い。

ここに自由があると思う。

 

他人のせいにするとその場は自分の心が救われる、ような気がする。

ただ、自分の成長という意味では経験値があまりに少ない。

失敗という経験が得られないから次の経験に活かせない。だから同じ失敗を繰り返す。

 

国が悪い、会社が悪い、政治が悪い、他人が悪い。

それがわかっているなら手を施すべきである。

 

自分の人生なのだから、どういう自分でいたいのかを他人に委ねるのはあまりにリスキーだ。

他人のせいにする生き方が楽であるとはとても言えないと思う。

 

自分の幸せは何なのか? 他人が決めた価値観に合わせることは幸福なのか?

自分の価値観とよく対話をして、それが自分のチームの目指しているゴールと合っているか?

そこにヒントがあるのかもしれない。

 

 

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