芸は身を助けるというが真理だなと感じる。
私は会社で求められるスキルを身につけるのではなく社会で求められるスキルを会社で身に付けることが双方に利益をもたらすと考えている。
会社員は会社に利益をもたらせなければならないが、自分にも利益をもたらせるべきだ。給料は報酬、スキルと経験は財産である。
負荷が人を成長させることも紛れもない事実である。辛い筋トレをしなければ筋肉はつかない。仕事でも同じことだ。試練に打ち勝たねば仕事力が身に付かない。
過度な負荷は体を壊す。過度な仕事も心身を壊すので、ここが上司の腕の見せ所といったところか。
しかし、この成長機会を阻害する古い体制が今の日本にはある。私が思うに悪でしかない。
利益を得る方法は伝統的な手法であるが、人は時に盲目となる。トリッキーな成功物語に脳内変換してしまうのだ。これを喰らった若手はたまったものではない。余生を待つだけの人間の自己肯定感という名の養分にされてはあまりに時間が惜しい。そんなことをしている暇はないのだ。
養分を取られ、スキルを伸ばす機会の損失…
私はこれを殺人に等しいと考えている。休職に追い込むことは殺人に等しい。休職を選ぶことは自殺に等しい。自他揃って自分を殺してどうするというのだろう?
無理は禁物と言われて休めるようであればそもそもまともな仕事などできない。野球選手が怪我をしたくないからと練習しないわけにはいかない。身体に負荷をかけ、怪我をしないように、怪我を悪化させないように最大限の努力をする。
なので自分のゴールはどこなのか、そこに向かって計画は立っているのか。そして、努力の方向は間違っていないか。そして、後悔はないか。
近視眼的なものの見方でなく、長期目線の資本の投入が必要なのだ。労働者の資本は間違いなく労働力である。つまり、心身が資本。
働き方改革が始まり、効率の悪い投資をする時間がなくなった。目的を持たない人間にはより厳しい社会となるだろう。また、経験を得る機会の損失と言っても良い。
ただ、逆に言えば長期目線を持って行動できる人間には良い時代になるだろう。残業に頼らない自己の意思で課題に取り組む強い意志が必要だ。
自粛や休職で時間的ゆとりができる昨今。
いかにゆとりを持って自分に経験を投資できるのか。
私はどうも家にいるとひたすら寝てしまう。
読書は乗り物の中か病院の待合室。パソコン作業は会社かホテル。ベッドでできる作業といえばスマホからのプログ更新。
ん〜、まだまだ精進が足りん!